何もしないでいることに罪悪感がある。
だから、ゆっくり過ごしていると
焦る気持ちが湧いてくる。
ついつい自分自身を責めてしまう。
ゆっくりしていいのに。
ゆっくりしてないで
努力しないと。
って、
私が自分で決めたルールに
縛られて苦しくなっている。
最近は、少しずつだけど
ゆっくり過ごすことへの罪悪感は
薄れてきたと思う。
そうなるように自主訓練中。
ゆっくりしているとき、
ぼーっとしている時に、
罪悪感を抱いていることに気付いたら
「大丈夫。生きてていいよ。」
と自分自身に言ってみる。
これを繰り返してる。
ゆっくりすることを
私自身に許可してあげる。
社会人になったばかりの頃、
叶えたい目標があった。
そのために自分磨きをしていた。
自己啓発本もたくさん読んだ。
本に書かれていることを
実践してみたり、努力することが
その当時は
素晴らしいことだと思ってた。
でも、危険。
私のような自己肯定感の低い人が
自己啓発とか
自分磨きをするのは危険。
ということに、
つい最近やっと気が付いた。
そもそも
私は自分が生きている価値がない人間
だと自分で思っていた。
思っていた、というか
当時は自覚症状がなかったんだけど。
今思うと、幼い頃から
私は自分が生きている価値がない人間
そう思いながら生きていたから、
生きててもいいように
人から認められることをする
というのが、
何か行動する時の無自覚の理由だった。
私が生きててもいいと思えるように。
そう自分で思えるために努力する。
そうやってずっと生きていた。
だから
いい人になりたかったし、
能力のある人になりたかった。
人に褒められたかったし、
人の役に立てる人になりたかった。
そのために努力していた。
自分磨きをしたり
自己啓発本を読んで実践したり、
たくさん努力して
職場でも認められたり
成果が出たりしたこともある。
だけど心はボロボロになった。
当時は自覚症状がなく
そうした行動をしていたから、
心がボロボロになっても、
もっと努力すれば良くなる!
って思ってた。
そんなことの繰り返しをしながら
10年以上も過ごしてしまった。
そして、
体が動かなくなった。
心も動かなくなった。
私は自分が生きている価値がない人間
こんな風に、
私自身の心の根底で思っていたことに
気付いたのは本当につい最近。
今は
私は生きてていい。
って思えるようになってきた。
何もできなくてもいい。
自分のことも
ちゃんとできていなくても。
認知症の父のことも
充分にサポートできてなくても。
生きていていい。
私は息をしているだけでいい。
それで大丈夫。
つい、今でも
ちゃんとできない自分を
自分で責めてしまうことも
たくさんある。
自分を責めてしまうのは
この何十年もしてきたクセだから。
まだまだ治りきらない。
自分責めに気付いたら
「また責めちゃってごめんね」
と私自身に言ってみる。
そうやって少しずつ
存在しているだけでいいって
何もなくても生きてていいって
そう思えるように。
生きていていい。
私は息をしているだけでいい。
それで大丈夫。
ゆっくり過ごすことへの罪悪感
こころのこと